永年勤続休暇を利用しての長崎・雲仙旅行の一日目。長崎大村空港は、出張で一度、来た事があります。
空港に着くと、すぐに空港内のレストランで腹ごしらえをしました。今回は、極力出費を抑えての貧乏一人旅。
うどんとおにぎりのセットメニューを急いで食べたら、うまい具合に長崎行きの高速バスに間に合いました。
空港入り口の大村湾にかかる橋です。
長崎駅バスターミナルにつくと、まずは、すぐ近くの「日本二六聖人殉教地」を訪ねました。
この日は、日中、30度を越す猛暑。小高い丘の上まで、汗だくで上りました。
途中、旧長崎街道の案内板を見つけました。
福岡につながる長崎浦上街道は、ここが基点だったのですね。司馬遼太郎の「街道を行く」には、この街道の歴史が詳しく記されていて、目を通しておいたので、感慨深いものがありました。
殉教者について、記した石碑だったと思います。
石碑の後ろに資料館があって、余りの暑さに涼みがてら、見学しました。
キリシタン弾圧の歴史資料ですね。
踏み絵です。
マリア像ですね。
これは、聖人像を掘り込んだ有名な石碑の”裏”です。
表は、ビデオには取ったのですが・・・・デジカメ撮影は忘れてました。
右手にビデオ、左手にデジカメ。忙しかったです。
さて、二六聖人殉教地を出ると、余りの暑さに堪らず、とりあえず、この日のビジネスホテルにチェックインして、一休みしました。
夕刻、涼しくなってから、近くの出島へ。
出島は、所々、工事中でしたが、一通り見て廻りました。
これは、倉庫だったと思います。
出島の表門に入ると、小さな蟹が運河から上ってきて、這い回っていました。
表門はこんな感じだったんですね。鎖国時代、ここが海外と日本との唯一の接点だったわけです。
この日の夕食は、中華街で、皿うどんとシュウマイです。皿うどんは、薦められるまま、ウスターソースを掛けて食べましたが、ちょっとボリューム感がいまいちでした。
中華街の入り口の門です。横浜とは規模が違います。
二日目は、早起きして朝から平和記念公園に出掛けました。
ここが原爆資料館です。ここを見学するのが、旅の目的のひとつでした。
午前中、たっぷりと時間を掛けて、展示物、映画など、見て廻りました。
平日なので、社会科見学の小学生が沢山、団体で来ていました。
ここが爆心地。
お昼は、吉宗で茶碗蒸しのセットをおいしく戴きましたが、その銀嶺に向かう途中、眼鏡橋に立ち寄りました。
ここは、銀嶺ですが、話に聞いていたレストランは、なくなっていて、二回に居酒屋さんが入っていました。
これは、三日目のお昼に食べたからすみのスパゲッテイです。長崎駅近接ビルの最上階のイタリアレストランのメニューにあって、試してみたのですが、これはお勧めです。

三日目は、長崎駅バスタールナルから、定期観光バスで雲仙に向かいました。テープ音声での観光ガイド付きで、途中、千々石海岸を望む休憩所で撮影しました。
五円玉のデザインにもなった美しい景色です。
三日目の夜は、雲仙の国民宿舎に泊りました。
夕食は、こんな感じでしたが、これで充分、満腹になりました。隣の席の福岡から来た常連のおじさんと、焼酎を戴きながら、九州観光談義に花を咲かせました。
日の出時刻の部屋から見た窓外風景です。
宿の主人が撮ってくれました。
雲仙から、島原へ路線バスで向かいました。
バスの車窓から見た普賢岳の遠景です。
崩落跡です。
河川敷まで土砂が押し寄せた様子が良くわかりました。
バスが止まった一瞬に、島原城をスナップしました。
帰りの長崎空港で二度目のちゃんぽんを戴きました。

今回は、ビデオをメインに撮影しましたので、そちらも、その内、アップします。
乞うご期待、しないか(^^♪