今日は朝からややうす曇の晴天に恵まれ、ウォーキング日和です。
幕張といえば、幕張メツセを思い浮かべるでしょうか、幕張メッセの最寄り駅と勘違いしてこの総武線幕張駅に降りる人が多いようで、駅のホームの階段には、「幕張メッセは幕張本郷へ」という案内文が記されています。
幕張という地名は、諸説あるようですが、平家に追われた源頼朝がこの地に身を寄せ、幕百張を巡らせた故事に由来するという説が有力なようです。
江戸時代は、印旛沼の干拓事業の拠点として発展し、沿岸漁業や醤油作りなどで発展してきた街です。
近代的なビルが立ち並ぶ幕張メッセと異なり、こちらは古くからの町並みがちらほらと残るような佇まいです。
駅前にも特にロータリーのような設備もなく、どことなく取り残されたような印象があります。
総武線幕張駅から京成幕張駅方向へ歩きました。
途中の踏切から幕張駅ホームを眺めました。
この建物は、千葉市花見川区公民館です。
実はこの隣に、江戸時代に飢饉に苦しむ農民のために甘藷の栽培をこの地で行った青木昆陽の碑があるのですが、工事中で立ち入ることができませんでした。
京成幕張駅はこんな感じの小さな駅です。
日曜日の朝、早い時間なので人出はほとんどありませんでした。
京成幕張駅傍のこの新しい道路は、持参した地図にも載っていません。こんな風にこの辺りは再開発が続いているのですね。道路の向こうに幕張メッセの高層ビルが見えます。
線路脇の風景というのは、いつまでも意外と変わらないものです。

一歩、住宅街に足を踏み入れると、こんな旧家を思わせる家並みがここかしこに残っています。
旧家の町並みの向こうにメッセの高層ビルが見えます。
幕張を訪れた目的のひとつをこの風景を見たことで果たせたような気がしました。
住宅の間に挟まるように、三山の七年祭に参加する子守神社があります。
ほとんど道路に仁王立ちしているようなこの鳥居がちょっと奇妙ですが、きっとこの鳥居の向こうは神社の敷地なんでしょうね。
でも、向こうに止まっている自動車は、どうみても、この鳥居をくぐっているようでした。
下の写真は、子守神社境内にある樹齢およそ250年という大銀杏です。県の保存樹に指定されています。
子守神社をあとにして、総武線を跨ぐ陸橋から幕張メッセを望みました。この風景は、どこかで見たことがあるような気がしてくるのです。
陸橋の上から、幕張駅方向を見ています。
下は車庫になっているのですね。
・・・・
「電車はどこで寝るの?」「車庫で寝るのよ」という詩を思い出しました。
振り返って津田沼方向を眺めました。
陸橋を降りると浜田川という用水路に出ました。
その昔、どのような土木工事でできたものか、この川の両側に立ち並ぶ民家は、川に臨むように建てられています。
ここから幕張東小学校まで、住宅街のうねり曲がった路地の中をひた歩きに歩きました。
小学校を過ぎるとこちらも三山の七年祭りに参加する三代王神社にお参りしました。こんもりと茂った木々の向こうにお宮があります。
表札を新しくしたような感じです。
神社の境内はどこかしこも大きな大木に囲まれて、木の葉の屋根に覆われていました。
気さくな神主さんは、落ち葉の掃除に余念がない様子でした。
・・・・
「こちらの大木は樹齢、何年くらいですか?」
「さあーー、子供の頃からなにも変わってないので・・・・」
・・・・・。
神社を後に、再び住宅街の中を花見川方向に向かいました。
右も左も、民家の庭先に、柿木や蜜柑の木が実をみのらせています。
こちらの柿木は、実がよく熟していました。
子供の頃、こんな柿木に手を伸ばしていたことを思い出させてくれます。
こんな風景、都会ではもう見掛けませんね。
武石町にある真蔵院は、地名の由来にもなった平安時代末期の豪族、武石三郎胤盛の菩提寺です。
胤盛は、千葉常胤の三男で、この地に武石城を築き、この一帯の領主だったそうです。
こちらは、胤盛が亡くなった母を弔って建てた板碑で、千葉市の文化財に指定されています。
この鐘楼も、こんもりとした木々も、少しも不自然ではなく、風景に溶け込んでいるようでした。
花見川に出ました。ここまでで、予定した道のりの三分の一くらいです。
川岸に沿って散策道が整備されていて歩きやすくなっています。
上流に向かって歩きました。
目の前に見えるのは、京葉道路です。
京葉道路下にのどかな田園風景が広がっています。
花見川は、数ヶ月前に子供と釣りに来たことがあります。
お世辞にも清流とは呼べませんが、それでもルアーの練習など、釣り人をかなり見掛けます。
ここの釣りは、初心者にも簡単にかかるほど、沢山の魚が泳いでいます。
花見川をそれて、田んぼの脇を通り、子安神社へ向かいました。
ここはガーデンプラザ新検見川の新興のマンション群です。まだ建築が続いているようでした。
こちらが三山の七年祭りに参加している子安神社です。
安産・子育てのお宮さんで、お礼参りに訪れた若い親子を見掛けました。8世紀の開闢だそうです。
千葉市の保存樹木に指定されている古木です。
京葉道路を跨いだ参道から船橋方向を見ています。
子安神社を後に東大緑地植物実験所に向かう交差点に交通事故の被災者を悼む慰霊碑がたてられていました。そっと手を合わせました。
こちらがその東大緑地植物実験所の入り口です。
そのとなりが東大検見川総合運動場です。アメリカンフットボールの練習試合をやっているようでした。
ここでちょっとしたハプニングがありました。突然、救急車が到着したのです。
どうも練習中に選手が怪我をしたようです。よく見ると、グランドの中にひとり、倒れていましたが、幸い、腕の怪我で済んだようです。

こちらは、グラウンドの敷地から発見された縄文時代のハスの実を大賀一郎博士が開花させたことから名づけられた「大賀ハス」の発祥の地碑です。千葉公園をはじめとして、世界各地にその種が配られて美しい花を咲かせています。
運動場を後に再び花見川に向かいました。途中、ガーデンプラザをスナップしました。スーパー、学校、区役所、公園がまとまっていて、住み易そうですが、最寄り駅までバス便で、通勤は、ちょっと不便かもしれません。
花見川のサイクリングロードに出ました。上流方向を見ています。
花見川を下流に1Km強下ると、京成検見川駅傍に検見川神社があります。
ちまき祭りが有名な神社だそうです。七五三でしょうか、白いはっぴに身を包んだ子供づれ家族が沢山、お払いの最中でした。
若い女性一人、願い事があったようです。
小高い丘に立っている検見川神社の石段を降りると駅はもうすぐそこです。
やっぱり七五三でした。
ここでちょうど、お昼の時間になりました。
京成検見川駅から帰路に着きました。
おしまい。